まったりコーヒーブログ

早稲田大学国際教養学部卒業後、デンマークの会社に就職!

キム・カーダシアンとケイティ・ペリーの違いに見る「文化の盗用」と「文化の引用」のボーダーライン

先日からアメリカのセレブリティ、キム・カーダシアン・ウェストさんが自身の補正下着ブランドの名前をKIMONOとし商標登録しようとしたことで話題になっています。

(幸いなことに、ブランド名は変更されるようですが)

 

何かと最近、「文化の盗用」「ホワイトウォッシング」などの用語がよく用いられ話題になります、では一体どこからが「文化の盗用」でどこからが「文化の引用」ものとなるのでしょう。

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文化に対する理解と尊敬

「文化の盗用」

キム・カーダシアンが世間から「文化の盗用である」とたたかれている理由の一つは、そもそも着物への理解がいかにも浅はかに見えるということです。

何かしら和風な服を売っているブランドの名前が”KIMONO”なら多くの人はある程度の理解を示したのではないかと思いますが、補正下着と着物とは全く違う種類のの服です。

 

 ドレスを着るときにボッキュンボンに見えるために着る補正下着の名前が”KIMONO”というのは尊敬や理解がないどころの話しではなく、まったくもって理解する気すらない・差別的だと捉えられるわけです。

 

さらにアメリカで商標登録されてしまっていたら”KIMONO"という言葉がアメリカ国内でキム・カーダシアンに独占的に使われることになってしまうという事態になってしまうところでした。

 また、もともとよく知られている”KIMONO”という言葉が違うイメージとともに広がり多くの人の”KIMONO”の認識が=補正下着(キム・カーダシアンのブランド)となる不安や、”KIMONO”という言葉の元からの認知度によって多くの利益を上げる(キム・カーダシアンによる”KIMONO”という言葉における利益の独占が起こる)のではないかとも言われていました。

 

キム・カーダシアンの主な問題点は

  1. 日本文化や着物への知識・理解などがないまま商標登録しようとした
  2. 自分の商品が着物とは似ても似つかない物でありながら”KIMONO”という名前を使用しようとした

 

という2点です。

 

まったく日本文化や着物への尊敬や理解もなく、有名である”KIMONO”という言葉だけを自分の利益のために使用しようとした姿勢は「文化の盗用」といえるでしょう。

 

 

「文化の引用」

 

数年前に似たような問題で「文化の盗用」としてケイティ・ペリーが世間からバッシングを受けました。

 

ケイティ・ペリーは2013年のアメリカン・ミュージック・アワードにていわゆる芸者パフォーマンスをし新聞などで人種差別だと騒がれたようです。

 

しかし主に騒がれたのはアメリカ国内などで、日本国内ではなせ「人種差別になるのかがわからない」というような声が 多いようでした。

 

確かにケイティ・ペリーの服装はきちんとした着物のようではなくチャイナドレスのようなデザインにも見えますが、その他の鳥居などはとても日本的です。

またケイティ・ペリーはお忍びで来日してしまうほどの親日家であり、ライブパフォーマンスからも日本文化からインスパイアされたとみて取れます。

  

ケイティ・ペリーとキム・カーダシアンの一番の違いは引用・盗用した文化へのリスペクトです。

多少変ではあれど日本らしさがうかがえるケイティのパフォーマンスや衣装は日本文化や着物へ理解やリスペクトなどのポジティブな点がみて取れます。

一方、キム・カーダシアンは”着物”という本来日本的であるはずの言葉よりも自分の商品・利益に重きを置き、本物の着物には無関心であるといえます。

 

これらがケイティ・ペリーとキム・カーダシアンの違いであり、「文化の引用」と「文化の違い」と言えるのではないでしょうか。

他人種が違う文化を扱うだけで差別主義者になる時代

 近年は「多様性」という言葉の下に他人種が自分たち以外の文化を取り扱うということに関して敏感になりすぎているのではないかと感じます。

 

 こうのようなことで人種差別主義者扱いされる人のなかにいは、ただ純粋に「自分が生まれ育った文化とは違うもとについて知りたい」という好奇心で動いている人非人種差別的な人もいるのです。

 

自分が育った以外の文化を深く知り理解しようとすることが真の多様性ではないのでしょうか。

 このような過激かつ敏感過ぎる人種差別が広がっていくのことをとても恐怖に感じます。

多くの人が自分の文化が盗用されたではなく引用されたと思えるように、世界中でそれぞれの文化への正しい理解と受け手の前向きなとらえ方が広がればと思います。